◆JERAセ・リーグ公式戦 巨人2―1ヤクルト(11日・東京D)
巨人・原辰徳監督(62)が11日、ヤクルト戦(東京D)に勝利し、球団史上最多となる監督通算1067勝を挙げて、球団歴代最多勝利数を更新した。
1―1の8回1死、坂本の15号ソロで勝ち越し。先発した戸郷は、勝敗はつかなかったが7回1失点と勝利を呼び込む好投を見せた。
9日の中日戦(ナゴヤドーム)でチームが勝利し、原監督は川上哲治氏に並ぶ球団最多監督通算1066勝に並んでいた。
1995年に、巨人一筋15年間の現役生活を終えて、引退した原監督。翌年から野球解説者や評論家としての活動をスタートさせた。99年に1軍野手総合コーチに就任すると、2000年にはヘッドコーチに就任。長嶋茂雄監督の下で、指揮官としての帝王学を学んだ。長嶋監督が退任した02年からは、巨人の監督として、名将への道を歩み始めた。
就任1年目、02年の初陣。4番には松井が座り、上原が開幕投手を務めた。だが、白星は遠く、1980年以来22年ぶりとなる、まさかの3連敗スタート。4試合目にして迎えた初勝利は4月3日、この日と同じナゴヤDでの中日戦だった。同点の延長10回に、4番・松井が勝ち越しタイムリーを放って、苦しみながら初白星を手にした。
監督としてのスタートこそ苦しんだが、エース・上原が最多勝となる17勝を挙げ、不動の4番・松井はキャリアハイの50本塁打。けが人が続出する中でも巧みな選手起用で徐々に順位を上げて、9月24日にサヨナラ負けしながら、リーグ優勝を決めた。さらには西武との日本シリーズも4連勝で隙を見せずに、就任1年目にして日本一に上り詰めた。
だが、松井がヤンキースに移籍した翌03年は苦戦して3位。就任2年目ながら電撃辞任した。2年間の充電期間を経て、06年に再び監督に就任。07~09年、12~14年に2度のリーグ3連覇を達成するなど黄金期を築き上げた。09年の第2回WBCでは、日本代表も世界一に導いた。
15年限りで第2次政権を終えたが、4年連続で優勝を逃していた19年に再び監督に就任。5年ぶり46度目(1リーグ時代の9度含む)の優勝を決め、横浜スタジアムで涙を流したことは記憶に新しい。1066勝798敗、61分け。昨季までの監督通算13年間で、3度の日本一などリーグ優勝には8度導いた。Bクラスは4位になった第2次政権1年目の06年の1度だけだ。
川上哲治氏は、1961~74年に14年間、監督を務めて1066勝739敗、61分け。11度の日本一とリーグ優勝を成し遂げ、65年から73年にかけては9年連続日本一という圧巻の強さを見せた。「V9」はいまだ塗り替えられない大記録だ。
今季も無傷10連勝のエース・菅野を中心にここまで首位を独走。開幕後にトレードでウィーラー、高梨を獲得してチームの中心に据えるなど、戸郷や直江ら若手にも積極的にチャンスを与えて、巨人の歴史に名を刻んだ。
◆巨人の歴代監督の勝利数
▽藤本定義 422
▽中島治康 150
▽藤本英雄 34
▽三原修 177
▽水原茂 881
▽川上哲治 1066
▽長嶋茂雄 1034
▽藤田元司 516
▽王貞治 347
▽原辰徳 1067
▽堀内恒夫 133
▽高橋由伸 210
◆原 辰徳(はら・たつのり) 1958年7月22日、福岡県大牟田市生まれ。62歳。東海大相模高―東海大を経て、80年ドラフト1位で巨人入団。81年に新人王、83年は103打点で打点王とMVP。95年に現役引退。通算1697試合、1675安打、382本塁打、1093打点、打率2割7分9厘。99年に野手総合コーチとして巨人復帰。02年から監督になった。180センチ、86キロ。右投右打。
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