〈時鳥 鳴く声聞けば 別れにし ふるさとさへぞ 恋しかりけり〉
があり、時鳥の声に誘われた懐旧の思いを歌っています。この歌から、下河辺長流という近世前期の国学者は、その著「続歌林良材集」で、蜀王が化した時鳥を、
〈その鳴く声、「不如帰去」と鳴くなり。これ故郷を思ひて「帰らんにはしかじ」という心なり〉
と、杜宇の旅中で抱いた望郷への切ない思いが、死後に化した時鳥の声に溢れていて、その声は故郷を思って「帰ることにまさることはない」と鳴いているのだと述べています。
これが、「杜宇・杜鵑・不如帰」をホトトギスと読む由来です。また、杜宇が死んで時鳥に化したが、蜀の人はその鳴き声を聞いて「我が帝の魂」と言ったともあり、ここから「蜀魄」も加わったのでしょう。さらに、
〈この鳥の鳴くを待って農事を興すは、そのかみ(昔)望帝、稼穡(農事)を好める王の魂なる故に、なほ農の事を勧むるなるべし。……この鳥死出の山より来る鳥なれば、死出の田長(たおさ)と名づく。田長は農を催す名なり。これ彼の蜀王の死して、その魂の鳥と化して更に帰りくる故に、死出の山より来るといふ義か〉
とあります。つまり時鳥は「死出の田長」といって、農事を勧める鳥と呼ばれていたということ、さらに死の国から飛来するという新たな時鳥のイメージが加わります。こうした蜀の杜宇についての伝説は、「華陽国志」「蜀王本紀」「抱朴子」などの中国の古い書籍から学ばれていたようです。しかし、山を死者の世界として、時鳥が人々の生活する里と往復するという発想には、日本古来の農村の考え方も結びついたものかもしれません。
まず時鳥が農事を勧める鳥とされるということですが、古今集にある、
〈いくばくの 田を作ればか 時鳥 しでの田長を 朝な朝な呼ぶ〉
での歌意は、「どれほどの広い田を作っていると、時鳥は咎めるように、シデノタオサと鳴いて田長を毎朝呼ぶのか」といったものです。ここでの鳴き声が、時鳥そのものを指すようになるとされます。
時鳥が死の国、あるいは冥界と縁が深いことを次の項で見ていきます。
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May 27, 2020 at 03:04PM
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夏の夜更けに一声鳴くのは時鳥?郭公?~平安和歌に見られるホトトギス~(tenki.jpサプリ 2020年05月27日) - 日本気象協会 tenki.jp - tenki.jp
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