世田谷の住宅地はお屋敷が多いイメージだったので、たどりついて少し戸惑った。ハクガ荘という名の、築50年を越える木造アパートの1階。引き戸を開けて中に入る。漆喰(しっくい)の白い壁と、板張りの床と。格子戸の向こう側の景色は、レトロなガラスのせいで歪(ゆが)んで見えている。
看板娘は、カゴの中にいる。真っ白な文鳥とシルバーの文鳥。出てきたり、隠れたり、2羽でフォークダンスを踊っているようだ。
「仲がよさそうに見えますか? ケンカばっかりしてるんです。残念ながら、つがいではないんです。ひなのときは雄雌がわからないので、2羽とも雌を買ってしまいました」と中村万里さんは微笑(ほほえ)む。
なにしろ、自らの店に「ことり」と名付けるほどの鳥好きである。「とにかく鳥が好き。コーヒーと北欧が好き。自分の趣味をぜんぶ集めて、このお店を作りました」
食器は北欧旅行の折、蚤(のみ)の市やヴィンテージショップで買い求めたものだ。ソーサーとおそろいのストライプの皿にのって「ジャムトースト」はやってくる。
焼き加減は完璧だった。エッジの立ったかりかりの耳。干潟を歩くように、噛(か)みしめればじゅわっとあふれだすほどにしみしみの有塩バター。その、甘じょっぱさに思わずほくそ笑みつつ、コーヒーをすする。ドリップとは思えない、まるでエスプレッソのような濃度でとろりと口の中に入って、よい酸味と果実味がみるみる広がっていく。苦味に険しさはなく、あくまで心地いい。
食パンは、北海道産「春よ恋」とホシノ天然酵母種を使用し、中村さん自身が開店前に焼いたもの。ひんやりと香る発酵の香りに、小麦のあたたかな後味に、それらの素材のよさは感じられる。
「パンは修業したわけではなく、熊崎朋子先生(パン教室「kona salon」主宰)に習っていました。先生に習った食パンは本当においしかった。自分で作って店で出すなんて夢にも思いませんでした」
「ゴーダーチーズ×胡椒(こしょう)のトースト」は、プラネタリウムの夜空で見る星々のごとく、ゴーダのスクリーンに、黒胡椒のドットが思い切った量をふりまかれていた。チーズのまろやかさに中和されて辛みはそこまででもなく、すがすがしい香りだけが取り出されている。
「札幌のコーヒー屋さんで食べてすごく好きだったので、自分もやりたいと思いました」
北欧が好きで、パンが好きで、コーヒーが好きで。となれば、シナモンロールがメニューに並ぶのは、必然。
「北欧を好きになったのは、映画『かもめ食堂』を観(み)たのがきっかけです。シナモンロールも映画の中で知りました。映画のパンフレットにシナモンロールの作り方がのっていて、その通りに作るとおいしいものができた。それをベースに、北欧で食べたものを参考にアレンジしました」
『かもめ食堂』と同じく、“平手打ちされた耳”という意味を持つコルヴァプースティ型。シナモンロールの定石通り、外側はかりかりとしつつ、その内側はもっちり、という異なる食感の共存に快楽がある。しっかりと焼かれた表面にあるカステラの焼き目のような甘さは、北欧のシナモンロールらしいカルダモンの香りと、2羽の小鳥のように戯れ合う。
静かな時間の中に小鳥の気配がある。壁に、コースターに、販売される雑貨に。小鳥のモチーフはいたるところで息を潜めている。中村さんの小鳥愛がうかがえるというものだ。
「犬っぽい、猫っぽいってありますよね。うちの文鳥たちはどっちかというと猫。甘えたいときは寄ってくるけど、そうじゃないときは来ない。楽なんですよね」
親密であるけれど、さばさばしている。ことり珈琲店の空気感はそれに似て、猫的・文鳥的なのかもしれない。と、コーヒーカップを傾けながら、そばに座った常連さんと中村さんの会話を聞くともなしに聞いていて思った。
「カフェと喫茶店のあいだぐらいの気持ちでやってます。私も、喫茶店で育ったほうなので。カフェみたいな特別なところというより、家の近所にあって休みの日に行けるような場所」
特別ではないけれど、満ち足りた気持ちになれる場所。パンとコーヒーと食器と、小鳥のおかげである。
ことり珈琲店
東京都世田谷区深沢1-12-3 ハクガ荘1F
10:00~18:00(L.O.17:30)
金・土・日曜営業(Facebookで要確認)
https://www.facebook.com/kotoricafe2015/
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